【企業意識による二極化】これからの「売れる形」
【企業意識による二極化】これからの「売れる形」
連日のように、アパレル業界の厳しさに関する記事を見かけます。
実際、百貨店やアパレル業界の方にお話を伺っても、厳しいと仰っいます。
この危機を乗り越えるため、直営店やECでの販売を増やす、商品の品質や価格を見直すなど、色々ご苦労されているようです。
ふと思うのですが、これからの「売れる」って何なのでしょうか?
実際、多く売る時代は終わりました。
良いモノを長く大切に使う時代に移っていくのでしょう。
良いモノを長く大切に使う時代に、物を売る業界が、時代を導いていく発想が大切かもしれないと思います。
物を売る会社が、商品を多く買うより長く大切に使うよう、消費者に促す。
物を売る会社は、二極化するのではないでしょうか。
物を多く売ろうとしなくても売れていく会社と、売ろうとしても全く売れなくなる会社に。
これから人々は、得る喜びを選ぶようになると思います。
目先の欲望を満たす喜びか、本質的な喜び、持続可能な自己の発展を可能にする喜びか、です。
個人もSDGs視点で人生を重ねようとする人々が増えていくと思います。
流行りの洋服や、自分に合った洋服を得ることは、気分を良くしてくれ、モチベーションアップに繋がり、見た目も美しくしてくれ、いいことばかりです。
しかし、ふと思うのです。
人として得られる本質的な喜び、最も奥深い喜びとは、物や環境を得ることで手に入る物ではないと。
自分の見た目に合う洋服を着る自分が、そもそも自分の人生や自分自身に満足していることが大切かもしれません。
自分自身に対する満足度を「埋める」ために、物や環境を得る・変えることは、目先の満足を得て解決した気分に浸っているような気がします。
逆に言えば、自分自身をしっかり理解し人生に満足している人は、似合う洋服の購入は「埋める」作業ではなく、自分という資源を更に役に立てるための手段かもしれません。
ですから、充分な洋服をもっていれば、それ以上を購入する機会がないのかもしれません。
電池式時計は、充分な電池がある限り、新しい電池を必要としません。
正確に時を刻むという役割を果たすことが、存在する目的だから、余計な物は要らず、必要な時に電池交換をすれば良い。
人に置き換えると、自分が存在する目的について、自分自身が明確に理解していなければ、自分に必要な物が何なのか、判断できません。
だから、目に止まる物、人が取り入れている物、魅力的な広告などを見て、それが自分に必要だと誤認識し、取り入れる。
取り入れることは正解でも、順番が逆だった。
中の空洞は埋まらないけれど、外枠はとりあえず埋まる。
中の空洞は死角だから、空洞であることを見ないで時が過ぎる。
でも空洞は空洞のままだから、どこか充足感・安心感が得られない。
だからまた、目に付く外枠をとりあえず埋める。
外枠だけが分厚くなる循環。
中がしっかり埋まっていれば、外枠はTシャツ1枚でも充分かもしれません。
そのTシャツはもちろん、選りすぐりの、自分に最も似合うと思うデザイン。
中を見ても満足。Tシャツを見ても満足。
この状態から生まれる力が仕事や社会に与える貢献度は、言うまでもなく高い。
その人が2枚目以降のTシャツを購入する時は、1枚目のTシャツが古くなったときか、自分をより良く貢献へ活かすために役立つTシャツが見つかった時。
消費者の中にある「埋まらない部分」に、どう向き合うのか。
提供者自身に「埋まらない部分」がなければ、向き合う方法は複数から選択可能でしょう。
逆に、提供者自身の目に、まだ本質が見えていなければ、消費者に向き合う方法は一つしかないでしょう。
「モノを売る」という枠を超えた意識でモノを捉えること。
自社の商品と消費者の一瞬の接点(=購入)という視点を超えた意識で、消費者との関わりを捉えること。
「売上げを上げること」「生き残ること」を軽々と超えた企業意識で、会社が存在する目的を捉えること。
その上で、仕事や商品を再設定することが、「売ろうとしなくても売れていく会社」の第一歩になるのかもしれません。
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