PDCA?OODA?手法の問題?【成果を生むように手法を使う人】
PDCA?OODA?手法の問題?【成果を生むように手法を使う人】
最近、日本におけるグローバル化対応において、PDCA手法に対する批判的論調を目にすることが増えました。
「かつてはうまくいったPDCAだが、スピード感に欠ける。」
「PDCAよりOODAの方が進化している。」など。
※OODA:オブザーブ、オリエント、ディサイド、アクト(観察、適応、決定、行動)の略
今に合う、より良い手法を取り入れれば良いし、より良い手法を生み出していけば良いと思います。
PDCAのあら探しをすることは必要なく、不足点が見つかったのなら、どこかにあるだろう新しい手法を探すのではなく、不足点を埋めるやり方を、各自が確立していけば良いのでしょう。
そうして確立した手法が、PDCA+になるのかもしれないし、OODAに似ていましたね、なのかもしれないし。
手法に頼らず、何かを参考にしながら、自分のやり方を追求してきた人々は今、PDCAに対する考えの差にも、新しい手法にも、食いついてはいないでしょう。
PDCAを評価し取り入れている経営者を「時代遅れ」だなどと批判することに、意味はありません。
その経営者は、成果を生むようにPDCAという手法を活用し続けてきたのでしょう。
PDCAに批判的な人は、成果を生むようにPDCAを捉えきれなかったのかもしれません。
成果を生むようにある手法を取り入れてきた人は、過去取り入れた手法を批判することはしません。
過去の手法のメリット・デメリットをただ冷静に捉えながら、新たな方法を常に生み出しているだけです。
何かに「批判的」な記事などを目にすることが多くありますが、ひとつ言えることは、批判的な論調はテーマを変えながら続く、と言うことです。
そこから何が生まれるのか、生まれないのか、ということが大切だと思います。
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