女性フリーランスとしてパワハラを考えた

本記事は、グローバル教育とは関係はなく、私が女性フリーランスとして経験したパワハラと葛藤、そして、得た学びについて記しています。

女性フリーランスの心掛け

女性フリーランスとしてパワハラを考えた

一般的に、女性フリーランスは、パワハラ被害を受けないよう、色々な心掛けが身に染みついているかと思います。たとえば、相手との認識合わせはマメにする、会話はメールに残し再確認する、あやふやなまま話を進めない、議題は明確に、契約書は案件事に交わす、など。

しかし、私は経験から気づきました。このような心がけは全てが「対処法」であり、パワハラが行き交う場からの撤退にはなっていないと。

私のストーリー

私は、長年勤めた会社を辞め、2016年からフリーランスとなりグローバル人材教育を始めました。右も左も分からない中、多くの人の助けがあり、ここまでやって来ました。どのようなご依頼にもお答えし、少しずつ仕事を増やしてきました。

相手のスタンスに敏感だった

ビジネスも知らない女性フリーランスという立場だからこそ、私は、相手の”私に対するスタンス”には敏感だったように思います。

  • 未熟な私の能力だけではなく、実現したいものにも同時に目を向け、接してくださった研修会社の社長
  • 私のクライアントへの貢献意欲を歓迎しながらも、世間の厳しさを教えてくださった研修会社の営業さん
  • 丁寧に説明し、私が焦って理解を深めようとしないようにしてくださった異業界の社長
  • 私の実績ではなく、可能性に目を向け、とても丁重な言葉遣いで思いを教えてくださった異業界の社長
  • 自分の素晴らしい経歴はさておき、未熟な私に「勉強になりました。ありがとう。」と敬意を払ってくださった先輩講師

このような、温かい方々との関わりが、私を成長させてくれました。未熟だからこそ、周りの人の情熱や志、そして、人への敬意が見えていたように思います。

自分が最も葛藤した経験

私を成長させたのは、苦い経験も同様です。その時はがむしゃらでしたが、今思えば、「何という、絵に描いたようなパワハラ」という経験も多々あります。

しかし、私が最も内省を深めるキッカケになったことは、パワハラということ自体に気づきにくい以下のような経験でした。

 

元々はAプロジェクトのために関わりが始まり、打ち合わせを重ねていました。しかし、お相手の目的は、いつの間にかAからBへと変化していたのですが、彼はそのことを伏せたまま私との打ち合わせを続け、Bの方へと誘導していきました。

私は、途中から「おや?」と違和感を感じながらも、相手の立場、年齢、紹介くださった人、Aプロジェクト実現への思いなどから、堂々と「あのぉ、本当にA実現を願っていますか?」などと問いただすことができないでいました。

相手がBを狙っていたことにハッキリと気づいた時は、正直、ムカムカが止まりませんでした。今までの私の時間を何だと思っているんだ!私が立場ある人間で男性だったなら、果たして同じように人の時間を奪っていたのか!私のAへの情熱を利用していたのか!などと考えました。

しかし、冷静になり、2つのことに気がつきました。相手には見事に悪気がないこと、私自身の甘さが招いたこと。

 

相手には見事に悪気がなかった

その相手は、Bも素晴らしいと信じ込んでいます。そのための手段が正々堂々ではなくても、私の時間を「Aのために使うと見せかけて」でも、彼はBを実現したかったのです。

もちろん、Bによって恩恵を受けるのが自分だけかもしれないと薄々分かっているから、彼は目的を隠して私の時間を使っていたのでしょうが、自分がエゴで仕事を進めていることに気づけないことや、相手の時間や意思に敬意を払えないこと自体が、私から見ればパワハラです。

しかし、相手が私ではなく、自分と同世代の貫禄ある男性同士であれば、その人は同じことはしなかったはずです。相手が私だから、人の時間や意思を尊重しない振舞いをし始めたのだと思いました。

この部分については、「相手によって振舞いが変わる」という、彼自身に原因があると気持ちを整理しました。相手が年下ならば、女ならば、実績が自分以下ならば、相手が実現したい仕事にとって自分が必要ならば、相手の時間や意思を尊重する必要性が減る、という感覚なのかもしれません。悪気がないのだから良いだろう、ということです。

確かに、彼に悪気はなかったと思います。「女性蔑視?そんなつもりはないのになぁ・・・。あ、こういう仕事は女には向いてないよ。」とケロッと言い放つ人に悪気がないのと同じです。Bへの欲望が強すぎて、他の事情を想像する冷静さを欠いていただけかもしれません。たとえるなら、真夏に外回りから帰社し、オフィスの冷房を強に変えた汗だくの営業さんには、弱の冷房でも寒くて毛布を巻いていたデスクワークの女性社員の事情などまるで眼中にない、というような感じです。

 

私自身の甘さが招いたことだった

私が自分自身を最も振り返るキッカケになったのは、私自身にも原因があったという部分です。

Aプロジェクトを実現するために、私は波風を立てたくありませんでした。自分が成功したいなどというエゴではなく、Aが成功すれば、より良い社会作りに少なからず繋がるからだと思っていました。しかし、ここに私のエゴが潜んでいました。

本当に良い仕事に仕上げるためには、そこに犠牲や偽り、我慢や誤魔化しがあってはいけません。なぜなら、それらの上に成り立つ成果に持続性も安定性もないからです。私は、ここに気がついていませんでした。目先、Aが実現することを重視し、本質も、先も見ていませんでした。

形はどうあれAが実現することが、多くの人にとってもプラスだと、私自身が思い込みたかっただけでした。それは、Aを実現することによって、「私の仕事がうまく何かの役に立った」という実感を得たかっただけでした。私はエゴまみれだったのです。

本当に良い仕事でなければ、何かの役に立つことなど安定的には叶いません。本当に良い仕事とは、自分が良いと信じたい仕事ではなく、本当に社会にとって良いかどうかです。

私はまるで、空に分厚く掛かった雲から下の世界で、繁華街に灯る明るい電球を目がけて走っていました。雲の上にある太陽の本物の明るさが、見えていませんでした。太陽が見えていない私のスキに、私を尊重しないという他人の行為が入り込んだのだと思います。

スキがあったから、入り込んだのです。スキがなければ、そよ風が吹いた程度のことだったろうと思いました。「波風を立てたくないから・・・」とは、体の良い言い訳です。波風を立てずとも認識を確認することは可能でしたし、場合によっては立てて良い波風もありました。ビジョンより保身が勝っていただけのことでした。

エゴはどこから来るのか

ちなみに、そのようなエゴが私のどこから生まれていたかというと、それは、自己承認力の欠如です。自分には価値・能力・可能性があるという自覚(=自己肯定感・自己効力感)が足りなかったことが、全ての元凶でした。

自己承認力の欠如は、ありとあらゆる不運を自分にもたらします。ここを埋めなければ、同じような経験は何度でも訪れると思いました。

 

今後はどうすべきか

今後、パワハラなど他者による不快な言動に遭わないために何が必要なのか?と私は考えました。自分の心を守るためでもありますが、自分の仕事が簡潔明瞭に何かのために役立つためです。登山者が最もリスクが少ないルートを選び山頂を目指すのと同じです。

私は3つの方法に辿り着きました。

  1. ビジョンの質を高める、しかない
  2. ビジョンからの逆算で動きブレない自分になる、しかない
  3. 全てを自分の成長へ繋げる、しかない

ビジョンの質を高める

私のビジョンが、「自分がAを実現すること」などという自己願望に留まっていたことが、自分を苦しい状況に追い込みました。もし私のビジョンの質が充分に高く、「社会/誰かが助かったり、Happyになって欲しいから、私は自分にできるAの実現をする」であれば、仕事の進め方に違和感を覚えたときの自問自答が「これは本当に社会/誰かのためになるのか?」となっていたはずです。

自己願望をビジョンだと履き違えていた私の当時の自問自答は、「これでAが実現するならいいよね?」です。Aが実現してHappyなのは社会でも誰かでもなく、自分のみだから、自問自答の質が恐ろしく低かったのです。目先しか見えていませんでした。

相手がいい人である場合は、要注意かもしれません。「いい人だから、まぁいっか」と思いたくなる心理が、履き違えたビジョンのまま歩む自分の背中を押してしまうからです。

ビジョンからの逆算で動き、ブレない自分になる

ビジョンの質を自己願望から他者貢献意識へ高めたら、後は、ビジョンを実現することから何もかもを逆算して動くことだと思いました。

「とは言っても、現実は○○だから」「とりあえず今は✖✖でも、これを軌道に乗せる方が大切だから仕方ない」などという事情は、フリーランスには多々あります。しかし、この「ビジョンを一旦横へ置く」という思考習慣は恐ろしいです。自分の足を地の果てまでも引っ張ります。

「ビジョンとは名ばかり」「ビジョンが絵に描いた餅」「ビジョンはビジョン、現実は現実」などという思考・言動は、簡単に自分の仕事の質を下げ、本質を見抜く人からの評価を一瞬で失います。

つまり、目先の利益や評価を得る代わりに、一番大切な持続性と安定性、価値ある評価、良質な人脈、自分を最大限に活かせる仕事の機会を手放していることになっていきます。こう聞くと恐ろしいですが、渦中にいればピンと来ません。目先の評価しか得たことがなければ、良質な評価など知りようもありません。利益だけで繋がった人脈しか持たなければ、良質な人脈の定義を考えることもありません。

注意が必要なのは、相手の立場や実績などが立派な時です。本質に沿った言動かどうかを見抜く力を身につけるしかありません。それは、自分が本質に沿って仕事をしていることが前提で得られる力なのだろうと思いました。

また、ビジョンに徹するには意思の力が要ります。それは、自己承認による自覚の積み重ねから生まれると気づきました。

全てを自分の成長へ繋げる

まぁ結局は、私が、相手の考え方や価値感に違和感を感じても感じなくても、世の中は回っていきます。私が、苦い経験を相手のせいにしても、自分に原因を見出しても、日は暮れ、夜は明けます。私が、自分に大きな成長のキッカケをくれた経験に感謝をしてもしなくても、経験は過去のものとなります。

私は、何らプラスを生み出さないことに意識や時間を使うのではなく、唯一プラスを生み出す方向にのみ歩いて行こうと思いました。つまりそれは、人を責めたり、人を変えようとか気づかせようなどとすることではなく、自分の中にある原因をとことんまで探しだし、自分に成長を与えることでした。この道しかないなと気づきました。

 

あの時、たとえAが実現していたとしても、仕事の質としてはたかが知れていました。違和感を抱えたままAにあれ以上固執しなかったことが、私にはプラスでした。パワハラが行き交う場からの撤退方法が分かったからです。

今のきもち

当時はムカムカし、感情が乱れましたが、その人が人としていい人だと分かっていますし、お世話にもなったので、今マイナスな感情はありません。プロジェクトAへの未練もなく、目指す方向が違ったのかなと思い、お世話になったことの方を思い出し、その方の幸せを願っています。

何より大きいのは、この経験のお陰で、私が自分の中にあったスキやエゴに気づくことができた感謝です。気づけた人生と気づけなかった人生では、雲泥の差だと思います。

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