経済学「合理的期待理論の思考法」とグローバル人材の関係性と盲点

合理的期待理論とは

経済学「合理的期待理論の思考法」とグローバル人材の関係性と盲点

経済学の思考特徴である合理的期待理論では「人間は合理的な思考にもとづいた将来期待を持ち、その期待の下で行動するはずだ」と考えます。この合理的期待の「合理性」には、実は、2つの意味があります。

1つは、ふつうの意味での合理性で。迷信にとらわれない、数学的な思考や論理的な思考ができる、という意味です。

もう一つ別の意味は「他者の思考や期待を推し量る」という人間の性質です。これは数学的論理的思考ができるかどうかとは次元が異なります。

 

慶応大学教授・小林慶一郎先生のお考えを、持続可能な発展を支えるグローバル人材の育成と照らし合わせ、以下見ていきます。

「相手の立場だったらどう考えるか」

小林先生は、まず、以下のように仰っています。

「他者の思考を推し量る力」は、政策論議において、重要な倫理的意味を持つ。それは、パターナリズム(家父長的な権威主義)への根本的批判である。他者の思考を推し量ることは、「自分が相手の立場だったらどう考えるか」と考えることである。

これが、政策論議においてのみ必要な思考法ではないのは言うまでもありません。お客さまはどう思うか?部下はどう捉えるか?生徒は何を感じるか?社会はどう動くか?という、「相手の立場や気持ちを想像する力」「相手への寄り添い力」です。

相手は愚かだという固定観念=倫理的不整合

相手は愚かだという固定観念=倫理的不整合

小林先生は、以下のようにも仰っています。

政策当局者がしばしば陥りがちなパターナリズム(家父長的な権威主義)とは、愚かな国民を賢明なエリートが領導するという思想である。そこにはまず「国民は、自分たち=政策当局者ほどものを考えない」という暗黙の前提がある。パターナリズムのベースにあるのは、国民は愚かだという固定観念である。このような固定観念の下では、政策当局者は「政策に対して国民がどのように考えるか」を真剣に考えない。

「賢明なエリートが領導するという思想」とは、たとえば、以下のようなものでしょう。

  • 上司が、部下の意思・意欲・潜在能力を軽視すると同時に、立場を利用し、部下を言葉やルールを用いた圧力で動かそうとすること
  • 意思・意欲・潜在能力を尊重されていない従業員たちの重い空気から成る組織体質には目もくれず、外部からの評価にばかり目が行っている経営陣が施策・ルール・ビジョンを決めること
  • 教員が、生徒の意思・意欲・潜在能力に対し盲目で、目先だけを見て理想的な行動を取らせようと「○○しないと✖✖になるぞ」などという脅しという力を用いた誘導をしていること

 

政策当局者はパターナリズムに陥ると、他者の思考を推し量る力という合理性を失う(=倫理的不整合

これはつまり、

  • 自分は○○をされたらイヤなのに、相手にはする
  • 自分はビジョンを押しつけられても意欲も成果も出せないけど、従業員には押しつける
  • 自分は昔先生や親から✖✖と言われイヤだったのに、今生徒には同じことをしている

などという、成果を出しにくい人材に良く見られるとされる行動です。自分の本当の声と行動に整合性がない状態です。

相手の思考を推し量る力が求められる

小林先生は最後にこう述べられています。

政策当局が倫理的不整合に陥らず、合理性すなわち「国民の思考を推し量る力」を持って政策を決定することが求められている。

その通りでしょう。言い換えれば、

  • 相手の意思・意欲がどのような状態ならば最大限に引き出されるかを想像し振る舞う力
  • 目先の成果ではなく、何が本当の理想なのか(ビジョン)を的確に捉え、逆算し動く力

というものが、成果を出す上では求められるということです。

難しいことではない

相手の思考を推し量る力が求められる

しかし、「相手の立場や気持ちを推し量って行動すること」など、斬新な考え方でも、目から鱗でもありません。幼い頃から、大人に言われて育った人が多い、当たり前の、普通のことです。しかし、それができない大人が多く存在し、政策論議をし、組織を先導し、教育を担い、社会を築いていることは事実だと認めるしかありません。

大人の目線に合わせて、難しい経済学を持ち出さなくても、本来はだいたいの人は大切だと知っていることです。「相手の気持ちになって考えること」のどこにも難しさはありません。。まして、政策を決め、組織や社会を動かす人たちは、エリートです。辻褄が合いません。

本質はその先にある

相手の立場や気持ちになって政策、経営、活動が進まない本質的な理由は、他にあります。何が正しいかを頭では理解している人が、その通りに動けない理由が、別にあります。

見て見ぬふりをし、避けて通ろうとしても、成果の不安定さ、他者犠牲の元に成り立つ経営など、目を向けざるを得ない現実は次々と現れますし、更に増えるでしょう。

人が、正しいと理解している通りに動くことができないもっともな理由は、本人の中にある「承認欲求」が放置された状態で、「自己実現欲求」を叶えようと働いているからです。

これは、持続可能な成果を出すための方法論であり、多様性に富んだ環境で安定的に成果を出す人材にとっての常識ですが、これまでは多くの場面で精神論と片付けられてきたのかもしれません。以下記事で解説しています。

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